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おじいちゃんとおばあちゃんがお話してくれたこと・・・ [My gran ma memoly]
毛沢東のバレエダンサーhttp://20050105.blog.so-net.ne.jp/2010-11-07
の本の中で、ツンシンの少年時代のことが、書いてある。
近所のオジサンや伯母さん、父や母から色んな迷信やら、その他もろもろのお話をきかされたことを。本当なのか疑わしいものもあったし、印象的なものもあった
具体的には、・・・本を読んでいただければと思うので(ただ単に、そこまで覚えていないだけなのですけどwww)
私も、小さい頃、おじいちゃんやおばあちゃんが、昔話をしてくれた。
山羊を飼っていて、その乳をうちの父親に飲ませたとか、(本当か?とずっと疑問だったけど、途上国に旅行に行ってみて、庭で普通に山羊を飼っているのを見たら、ああ、あり得るかもと思った)
元が攻めてきて、神風がふいて、元を倒した話は、おじいちゃんは、何度も何度もしてくれた。
兄弟で6番目に生まれて、乳がでないからと里子に出され、名前も兄弟の6番目の男の4番目だからという理由で、六四郎 という名前にさせられたことを残念がっていた。奉公にだされたこと。
日本橋で働いていたこと。渋谷の昔話、玉川の話、、色んなお話をしてくれた。それが楽しかった。
おばあちゃんも、小さい頃の話や戦時中の話、昔は、乞食というものがいて、ものをもらいにきたりしたんだよってお話し。
ひいおばあちゃんが、蚊を捕まえるのが上手で、蚊帳の中に入った蚊をピシャって捕まえられたとか、
いっぱい、色んな話をしてくれた。
今日は、、、疲れたせいか、そんなこと思い出したら、涙が出てきてしまった。ツンシンも毎日泣いていたと本にあったが、故郷の暖かい人々との交流は、心に残っていて、ふとさみしくなると思いだしてしまう。
リヤカーを引いて、江の島まで、父親たち子供5人を連れていったとか(本当かいまだに疑問)
おじいちゃんは、正座をして、よく話してくれたなあ。
骨が丈夫だったから、死ぬまで、自分の足で歩いていた。ぼけちゃったから、ぼけちゃったから、、
何もわかんなくなっちゃったけど、おばあちゃんのことは、忘れなかったみたいで
ずっとおばあちゃんの後をくっついて歩いたりしたっけな。。。
・・・・
私にとっては、仕事で忙しかった両親よりも、祖父母との思い出のほうが多いような気がする。
お迎えがあると、おじいちゃんが来てくれた。
小さい頃、「なんでうちだけおじいちゃんなの?ママに迎えに来てもらいたいのに」って
わがままいっちゃったけど、
今になって、母から、
「あーちゃが生まれたときね。おじいちゃんは、ほんと喜んでね。ずっと面倒見てたんだよ。おむつもかえていたんだから。」
って言ってた。
小さい頃、おじいちゃんとおばあちゃんの間に挟まれて寝ていたけど、おじいちゃんが手をつなごうって言っても、いやだっていって、おばあちゃんにくっついてた。
朝早くから、枕元の電気をつけて、本を読んだり、日記を書いていたおじいちゃん。
絵を描くのも好きで、うちの銀杏の木を書いたりしていたっけなあ。。
尋常小学校しかでてなくって、でも勉強はしたかったみたいで、英語でハローとか勉強したりしていたな。かわいいおじいちゃん。
日本と中国の国交正常化記念の何年目か忘れたけど、まだ、個人旅行はだめで
団体なら中国に行けたころだったのか、ちっちゃかったので、よく覚えてないけど
おじいちゃんと私たち姉妹で中国に行った。
外国人は、専用のお店で買い物をするし、紙幣も中国人の人が使うのと違う外人専用のものだった。
みんな人民服を着ていて、写真を撮ろうとすると周りに人だかりができた。
・・・・そんな時代だったんだなあって改めて、「毛沢東のバレエダンサー」の生きた中国の時代を
思う。
おじいちゃんは、かわいい孫たちと旅行に行けたのが楽しそうだった。
もっと、おじいちゃんに優しくしてあげればよかったな。。。って今になって後悔している。
いっぱい、いっぱいの愛情をくれたのにね。。。
おじいちゃんが亡くなったのは、もう10年前になっちゃうけど、、
一つの時代が、こうして終わっていくんだなあって・・・
ああ、なんだか、今日は、外に出て、人ごみにあてられて、疲れちゃったね。
あーちゃは、なんだか感傷的になってます。
でも、、、妹たちよりも、、、おじいちゃんとおばあちゃんの思い出がたくさんあって、
よかった。
一緒に暮らせてよかった。
って思う。
おじいちゃん、おばあちゃん、天国から、見守っててね。
毛沢東のバレエダンサー MAO'S LAST DANCER [Book]
この本は、先日見た映画 小さな村の小さなダンサーの原作となった本です。
http://20050105.blog.so-net.ne.jp/2010-10-17-2
毛沢東の時代、第二次世界大戦後の混乱の後、文化大革命と名をうった共産主義の徹底化
知識人の排除、大量虐殺など、、色々と歴史の中で、意見が分かれる時
その中で、貧しい農村から、選ばれて、都会に出ていき、アメリカに亡命したダンサーの実話。
映画も良かったが、本のほうがさらに詳細に描かれていて、辛い中、リー・ツンシンを支えてくれていた「家族愛」や恩師からの言葉が何度も登場してくる。
人間を支え、強くしていくものというのは、やはり人間であり、
それをまた、阻害し、迫害を加えるのも人間である。
選べること、選べないこと、色々とあるが、暖かい心をうけて、強く育った人間は、
何にでもなれるのではないだろうかと思った。
本の中にあるツンシンが小さいころに友達のおもちゃを盗んでしまい、母と謝りに行った後に
貧しくてごめんねと謝る母。悔しい思いをさせてごめんねという母
その後の夕食の時に父がいう言葉
「我が家にはお金もないし、食べ物もない。服も買えないし、こんなぼろ屋に暮らしている。
だが、私たちには誇りがある。誇りは、人間にとって一番大切なものだ。
ご先祖様たちは、みんな苦しい生活を送ってきたが、リー一族は、つねに名誉を失うことはなかった。お前たち一人一人によく言っておきたいことがある。
生活がどんなに苦しくても人間としての誇りを失ってはいけないよ」
・・・・どんなに貧しくても、人のものを盗んだり、羨んだり、、、そんな人間にならず、誇りを持っていきる。文字が読めない、教育も満足に受けていない。そんな中でのこの父親の言葉は、
ものすごく、重たいものだなあと思った。
また、ツンシンが、11歳というまだまだ子供なのに、一人選ばれて、北京にいき、さみしい中辛い練習に耐えられたのも、
チンダオでの子供時代、食べ物すら満足にない中で、辛い労働を強いられる両親、
つぎつぎに飢え死にする人々、そんな人たちの姿を見て育ってきた。
そして、いつの日か、この深くて、暗い井戸のような厳しい現実から抜け出そうとひそかに考えていた。
家族を助けるためなら、自分の命を投げ出しても構わないとさえ思っていたが、本当に家族の力になれる自信はなかった。
・・・・食べ物もない、兄弟は、男ばかりの6人兄弟。子供を食べさせるだけでも大変なことだと思う。そして、冬は、暖房もない。石炭もろくにない。狭い部屋にみんなで一緒に寝る。。。交互に頭と足を置かないと寝れない狭さ。すごいなあ・・と思った。
その後、こうつづられている
「それでも希望は、心のどこかに潜んでいたのだろう。いつのまにか自分の中で希望の種は芽生え、育っていった。そこに秘められた強い力に支えられていたからこそ、いつかきっとすべてがうまく行くと信じることができたのだと思う。」
と。苦しいことを経験し、見てきた。だけど、「希望」を失ってない。なんだか、いいことだと思った。
自分も、こんなに苦しい大変をしてはいないが、病気の出口を見つけられる。そして、いつか変われるって信じているから。
不可能なことなど何もない。
彼はそう言っている。ダンサーになり、怪我も経験している。
そして、家族を残して、亡命も果たした。
西側の資本主義、東側の共産主義
どちらにもいいところと悪いところがあると思う。
徹底した共産主義の教育、、、
そう、教育というのは、恐ろしいものだと思いもしたが、人間は自分の頭で考えられる。
その中で、自分が正しいと思ったものをつかんで、いきていければいいのかと
思った。
いい本に巡り合えたなあ。。。