他人に寛容になりたい [ -茶々もか(4年目)2015]
どうしたら、自分は、他人を「他者」として受け入れることができるんだろうか。
真ん中の妹と話をしていたときに
「母はいつも誰かと私を比べるの。そして必ずあーちゃの方が恵まれているんだからっていうんだよ
私だって、辛いし、頑張っているのに、いつもいつも 誰誰の方がかわいそうだっていうんだよ 」
って話したら、
「あーちゃ、だってね。それが、ママなんだもん」
ってあっけらかんといってた。
それが私たちの世の中でたった一人のママなのだ。
田舎に住んでいることを恥ずかしがり、住んでいる場所をXXXの近く としか言わない両親
(まあ、たいていの人にその場所をいっても それってどこ?って言われるのが落ちだからそういうのだろうが)
職業を恥ずかしがり、 この年でも商売やっているのとかしか言わない両親
(素直にお店やってるっていえばいいのに、、何が恥ずかしんだか)
だから、、そういうことも含めて、ずっと恥ずかしいことだって思ってきた。
そして、自分は、他の人よりもっと頑張らないといけないんだって思ってきた。
学校では、しいていえば、中学生までは、「優等生」に分類される子供だった。(学級委員をやったり、成績も良かったりしてね)
高校では、「普通」に分類されてはいたけど、両親にとっては、「国立大学」を卒業した立派な娘なのだろう。
田舎の大学なんだけどなあ。。
そこらの私立大学の方が偏差値が高いというのに。。
・・・確かに、就職のときも、地方の国立大学であるにもかかわらず、「国立」というだけで、就職先が選べた。
かつ「理系」ということで、高校の友達が、就職に困っていたあのバブル期であっても、私の学科には、求人票がきていた。
そして、現役で文系の大学を卒業した友人は、コネをもっていた子は、名だたる大手商社に入り、そうでない友人は、
苦労して、就職をした。短大をでた友人は、(むろん、大卒より早く就職していたが)大手企業に就職をできた。
そんな時代だった。
私は、自分の専門性を生かして、やりたいことがやれそうだと思える会社を選べて、そして入社もできた。
そんなに大きな会社ではないが、すごく満足だった。あこがれの「サラリーマン」になれたから。
そしてその後も、「自分の好きだと思える仕事」に従事できた。
子供のころから、サラリーマンの家庭がうらやましくって、土日に遊びに行けるうちがうらやましかった。ずっと働いていて、
お迎えに来るのは、おじいちゃんっていうのがさみしかった。運動会もきてもらいたかった。
でもきまって「仕事だから」って・・・
理系に進んだのは、簡単だ。1か 0 の世界。 白と黒がはっきりする世界だから。数式の基本をたどっていけば必ず答えが出る。正解は一つ。
それって、すっきりして気持ちがよい。だって、「これが正しい」って言えるから。自信のない自分でも「これは、あっているんだよ」って認められている気がするから。
・・・入社して、15年間設計の部署にいて、「理論に基づいて、仮説を立て、それを実証する」 というのは、この上なく楽しかった。
温度や圧力条件により、本当に金属は延びるんだって、ことを現場で見たときの感動。
薬品を入れて、プラスに荷電している粒子が反発しなくなって沈殿する事象。
どれもこれも、楽しかった。
一番楽しかったのは、プラントの「配置」を考えるとき。
機械の詳しい構造よりも、どんなプロセスを組むかということよりも、「具現化したもの」を「どのように配置」することによって
コストが削減できて、メンテナンスのスペースがとれて、お客様の使い勝手がよくなるのか、そんなことを考えるのがとっても楽しかった。
設計とは、「お客様のイメージを具現化すること」 だと。
そのために、それを表現するために「書類」を作り、「絵を描き」、それにあったものや「製品」を買って、「組み合わせ」て
「現場」で「組み立てる」。
そして、自分で「実際に動く」のか、お客様の求める「能力が発揮できる」のかを試すこと。
そしてそれがかなったときの嬉しさ。それが何よりだった。
・・・・でも、設計時代もやっぱり悩んでいた。自分自身ができることなんて限られている。
建物を建てるには、それを具現化するための建築家の助けがいる。そして、どういうふうに機械を動かすのか、を具現化してくれる計装と電気の設計がいる。
そして予算内で、物を買ってくれる調達の力がいる。
そして、その品質が、満足できるものなのかチェックしてくれる品質管理がいる
そしてそれらを組み立ててくれる工事の人がいる。
どれもこれも、私一人ではできることではない。むろん、そういったお客様から契約をとってきてくれる営業がいる。
だから、「好きなこと」ができるのにもかかわらず。
それを、自分以外のパートが「うまくいかない」「思い通りに進まない」「思った通りにならない」ことにストレスを感じて、
イライラを募らせて、怒ってばかり。それも優等生らしく 「正論」 という武器を盾にとって、「他人を攻撃する」
昔から、会社でも「 あーちゃは、怖い」 と言われている。それは、誰もが「正論」という武器には勝てないから。
なので、あらかじめ、「正論 」を封じる手に出る人もいる。
また、 「正論」を論破しようとする人もでてくる。 となると、、私はもっともっと貪欲に勉強し、知識を深めていった。
今度は失敗しないようにと・・・
それが、自分自身へのストレスにつながって、鬱とは思わなかったけど、体のあらゆるところに症状が出た。
皮膚炎、筋腫、よくわからない病気、夜中に上半身だけ汗がびっしょりになる、生理前に他人にすごく攻撃的になり、人間関係を壊す、よく泣く、
などなど。。
「あーちゃは、自分にも他人にも厳しいからなあ。すごいよなあ」と上司から言われてた。
「だから、おれは何も言えなくなるんだよ。お前にいわれるとな。」
って・
今日の日経に載っていたこと。そのまま引用すると×になるので、少し表現を削ったのが、下記だ
・・「自分は正しい」「決して間違ったことはしていない」と信じつつ大人になる。
決して悪いことには手を染めない。
厳しく己を律しながら、我慢と努力を重ね、自分の務めを一生懸命果たしながら生きていく。
学校であればずっと満点であろう彼らの生き方は、
社会においては大きな困難に直面する。
決して間違わず、悪いことをしない人間など、この世のどこにも存在しないから。
人間が最も酷(ひど)いことをするのは、
「自分は正しい」と思い込んだ時である。
それは、正しくない者に対する徹底した非寛容となって現れる。
「正しくなければならない」という過度の要求は強迫観念となって、自分自身をも攻撃する。
・・それが、今の鬱の状態を抜け出せないことなんじゃないかなあ。
と思う。
ずっと自分の考え方をそうして生きてきた私が、いきなり、寛容になるなんて、難しいよね。
だからさ、時間がかかるんだろうね。きっと。
だって、仕事以外は結構寛容だもの(笑) 仕事になっちゃうとのめりこんじゃうんだよね。だから、厳しくなるんだろうな。
「自分」が、100点を取ろうと思って。「自分」には、100点なんてとれないのに。そして、「自分」にできない100点を他人に
求めてる。
点数の基準なんて、仕事の与えられた環境によって全然違うってこと。
日本企業なら、100点の仕様書でも海外の会社相手だと20点になる。
どんなところでも60点をとれる柔軟性が必要なのに。
2007年から、設計から今の職種に移った。そして2010年に鬱になった。やっぱりあってないのかもしれない。
けど、鬱になったおかげで見えてきたこともたくさんある。そして、人の上に立って全体を眺めてまとめていく仕事の大変さ、
完ぺきを求める前に「前に進めていく」ことの大切さ。
誰かが失敗しても「それを取り戻すための手段を講じる」ことの大変さ
それが今の私の仕事。
人間だれもが間違えて、完璧ではない。私がお客さんの前で100点をとれる優等生に見せたいだけなんじゃなかろうか。
だから、「前に進めていく」ことをしても、他人の失敗が積もり積もってイライラしてしまうのでは?
頑張っていないように見える人が許せなくなってしまうのでは?
ひとりひとり違うんだ。
Kさんが、他人にまる投げするのは、自分を守るためであり、目の前のことしか言われたことだけしか視点がいかないから、
間違えてしまうのだろう。
そんな彼女をそのまま受け入れたうえで、さて、どうしたらいいのかって相談をしていく必要がある。
それが、私がやることであって、「彼女を責める」ことや「その部門を責める」ことではない。
だって、会社として、仕事をしているのであり、個人じゃないのだから。
もし、もっともっとそういうふうにできれば、他人という 個 を 受け入れて、寛容になれるのかもなあ。
だって、私も 「完璧じゃない」 人間なんだから。
自分ができることしかできない 人間なんだから。
「今」 を一生懸命やっていけば、次の道はおのずと開かれる。 そうだよね。あの時、大変だった契約交渉を乗り切った経験、設計のときにがむしゃらに勉強して得た知識、それらが全部今の私の糧になっているのだから。
それは、「他人にもとめるものではない」こと。
もう一回、認識し直して、来週会社に行けるかなあ。
あはは、このPJが始まってから、いつも、私が調子が悪くて、いなかったときに起きたことがあとで、問題になっているんだけど(笑) ・・・この言葉が出る時点で、おごりがあるよね。。私が一番がんばってますってね
しょうがないね。こればっかりはさ。
そうだよ。あーちゃ。茶々ももかもこうしていつもあーちゃのそばにいるよ
でもさ、昼間はあーちゃがいないのだって、我慢が出来るんだよ。
偉いでしょ?
ご飯が足りなくたって、あーちゃは、私たちのことを考えて体重を管理して、療養食を買ってくれて、
食べやすいように工夫してくれて、病院がストレスだからって、私たち用の体重計を買ってくれて、おしっこだけ
毎月もっていって、検査してくれてるじゃない?
もかちゃんにご飯を食べられないようにって茶々がご飯終わるのずっと見てくれてるでしょ?
お耳のお掃除も、忘れちゃっててごめんねっていって、毎週みて、お掃除してくれているから今とっても元気だよ。
爪を切ったり、歯磨きもしたり、鼻くそとったり、目やにとったり、いつもいつも気にしてくれるでしょ?
新しいおもちゃも考えて買ってくれるでしょ?
あーちゃ、茶々ともかは、あーちゃがいてくれて、あーちゃのうちの子供になれて幸せなんだよ。
悩まないで・・あーちゃ。