福島のために・・・ [ -茶々もか(2年目)2013]
私のお世話になっている方が、昨年定年退職し、今は、委託社員として働いています。
だけど、今、下記理由から、会社を辞めて、故郷福島に戻るとのことをつづったお話です。
たんたんとだけど、非常にあったかい気持ちになったので、本日のブログに掲載させていただきます。
なお、悲しいことに、除染作業が、なかなか進まない原因として、保障問題(金額)があり、地元住民と
折り合いがつかないことが多々あるそうです。
現実を考えると、何とも言えない思いですが、この恩師の決意には、胸をうたれました。。。
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各位
突然(唐突)の事及びメールにての報告お詫び申し上げます。
退社の報告(経緯、新勤務先、新仕事内容)をさせて頂きます。
経緯)以前(半年前)から大恩ある先輩から、
K県に本社のあるA社が
震災復興事業(除染等)の為に福島に拠点を作りたい、
その先駆けになる人材を探せと厳命されていました。
被災地(福島県浜通り)を中心に
同級生、先輩、後輩の何人かを説得に当たりましたが
諸般の事情から、断られていました。
新聞・TVで承知かと思いますが、
この2月から本格的に環境省発注除染工事が始まります。
ここに来て、時間が無いことで、私本人が、
その責務を行う事=1月末で
退社する事と決断しました。
私の本音=福島に何れ帰る気持ちはある、
だが時期早々、まだ今の職場で皆様に助勢したい等でした。
先輩の泣きながらの説得及び叱責
(おまえは福島の復興を何と考えているのだ!)
”火中の栗を拾いに”に応じた次第です。
新勤務先)XXXX 福島支店 福島県南相馬市
要は多数の重機・資材・作業員を保有してゼネコンから
1次又は2次下請けとして直接に建設を行う会社です。
福島支店といっても事務所を開設したばかりで、
1名いるだけで1月からは女性2人を加え
2月から50人以上の体制で業務開始予定です。
新仕事内容)環境省発注除染工事南相馬市除染等工事
XXXXXXXX社からの1次下請け工事
A社は1班10人(職長、重機オペ、作業員)を
2月からは5班50人体制
4月からは200人
最大で500人を予定して、その作業に当たります。
私はその管理者(JV対応、労務管理等)としての
業務を行う予定です。
除染作業自体は非常に単純ですが、遠大で気が遠くなる
仕事です。
余談)○勤務地の南相馬市は当社のIさんの実家です
更に、D室に12月からの勤務のMさんの実家であもります
○現地のXX所長のIさんは当社のEさん
の従姉妹の旦那様である事
○XXJVの別工区除染(XX地区)のJV所長
は私の同級生である事
7日(土)に南相馬市に出かける目的には、南相馬市の友人
(元南相馬市職員)
津波で奥様、御母様、息子様を亡くされた慰霊碑を訪ねる目的も
ありました。
朝の全国ニュースで南相馬市の「奇跡の一本松」が報道されました。
南相馬市の一本松=新聞記事から
一本松と同様に震災の津波の直撃に耐えて生き残った松の木が
福島県 南相馬市鹿島区にもあり、同じく
「奇跡の一本松」と称されている
南相馬市北部の南右田地区には数万本の松の木による
保安林 があったが、津波によってそのほとんどが倒壊した。
十数本ほどが生き残ったものの、その後ほとんどが樹木医により
枯死と診断され、高さ約25メートル・根回り約2メートルの
1本だけが生き残った。この木を地域の希望の象徴として残すため、
地域住民の有志が主体となって「一本松を守る会」が結成され、
木の周囲を整備したうえで看板を設置し、保存活動を続けている 。
30年ぶりに同級生と再会し一緒に行った同級生
(原町2中出、元福島県職員)は
泣き崩れて大変でした。夜は松川浦の亀屋旅館で二人で、
45年分の話を、特に震災後の苦労(新潟県村上市に約1年避難等)
殆ど泣きながらの話を夜通ししました。
以上が退社の経緯、新勤務先、新仕事内容ですが
1月末までの実質約1ヶ月は当社の皆様の業務を支援(助勢)
に全力を尽くす所存ですので、宜しく御願いします。