のびのびにゃんず [-茶々もか (1年目)2012]
ボランティア といっても、、私は、募金もしてませんし、特別なことはしてきませんでした。
だから、、、私にできることは、お金ではなくて労働力と時間を提供しただけです。
ガーデニングの知識も役に立ちました。ちょっとのおしゃべりも役に立ったかなあ。
できることをやろうっていうその気持ちでいいのではないかと。無理せず・・・
今日のにゃんずを・・
(こうしてみると茶々は、大きい・・)
あしがかわいいww
二人で、同じポーズがかわいいなあ
茶々、もか
二人と暮らせて幸せw
ボランティア活動にいって [-茶々もか (1年目)2012]
さて、5月25日~27日まで東松島の東名(とうな)地区にボランティアにいってきました。
東名地区には、約320世帯http://www.posting-nihon.com/miyagi/higashimatsushima.html
が住んでいます。(人口にして800人程度)
東松島市の人口が42000人ですから、1/4が住んでいます。
ここは、新興住宅地で、電車も通り、仙台への通勤圏でもありました。潮干狩りもできて、松島の自然も満喫できる
とても豊かな土地です。
しかし、東日本大震災では、津波の影響で、9割がダメージをうけています。
下記を見てください。津波が着た方向と被災した地域です。
東名地区は、2KMの幅ですが、すべて、津波によって、浸水しました。
浸水したというよりも、水に埋もれたといった方がいいのかもしれません。
写真は、住民の方の心情もあり、不可とのことでしたので、撮ってこれませんでしたが、街が、1日にして海になったままです。
そこに住宅地が広がっていたとは、信じられませんでした。
この話をしてくれたのも、この地図を書いて、渡してくれたのも地元のボランティアの方です。
ありがたいですよね。
・・・さて、1年もたって、ボランティア活動とは。。
1日目・・・庭のガラス除去。スコップで掘ってみると、ざくざくでてきます。恐ろしいほどの量です。
5cm以上の大きさのものも普通にあります。それが、庭に埋まっているわけですから、子供を遊ばせるなんてできません。
ここのお宅には、1日目、2日目と延14名が入りましたが、まだ終わりそうにもありません。
2日目・・畑の異物除去
ビニール、木片、陶器などがでてきました。ここは、何度かやったところらしく、昨日から人が入り、なんとかきれいになりました。
午後は、お花プロジェクトということで、周囲の住民の方に、お花をプランターに植えて進呈。
300人ぐらい来たとのことですので、東名の人がみんな来てくれたんだと思います。
やっぱり、殺風景なので、花があるとうれしいですよね。
まだまだ仮設に住んでいる方もいらっしゃいます。
3日目・・・側溝のどぶさらい。これは、定期的にやらないとだめですよね。くさいヘドロがたくさんありました。
これが、私がお手伝いしたものです。
2,3日目は、陽射しが強く、2日目には、ちょっと熱中症となってしまい、作業は、お休みしてしまいましたが、
外の仕事に慣れていないとかなりきついです。
でも、きれいになるとちょっとうれしくなりますね。
そして、3日目の作業終了後に、見学ツアーに。
被災地の状況を見ながら、体験者に語ってもらうというものでした・
老人ホームから、お年寄りを連れ出して、避難していたところ、避難先の体育館の床に車いすに乗せたお年寄りがいましたが、体育館の床は、津波でやられ、避難したが助からず。
避難中の車が渋滞して、ストップし、職員は、命からがら、津波から逃げたが、車の中のお年寄りはそのまま・・
老人ホームに残された職員とお年寄りは、そのまま・・
海が一望できるとてもよいところにありました。
今は更地ですが、多くの人命がなくなったのは、非常に悲しいものがあります。
反対に、地域での津波が来た時の訓練を重ねていたおかげで犠牲者が出なかった場所もあるそうです。
・・・人の数だけ、壮絶なドラマがあります。
まだまだ傷はいえないです。
とてもじゃないけど、話をきいていられなかったです。
私にできること。。。。
会社で、今の仕事に従事することによって社会貢献する。
そのほうが、もっとたくさんの人に喜びを与えられるんじゃないかと思いました。
うん。そのために頑張ろう
そこにセキレイがやってきて、ついばみます。豊かな自然を感じます。
ボランティアの宿泊所から、40分歩いたところにある東塩釜のお店。朝 6時~、ご飯を出してもらいました。
ここのご夫婦も被災者です。
明るくいろんなお話をゆっくり聴けてありがたかったです。
自然災害によって、人間の無力さをしり、
集団で、力を合わせることの大切さを知ります。
自治会なんて・・と思いますが、何かあった時には、やはりそこに住んでいる仲間による助け合いがなければ、
なにもできません。
今住んでいる街でも、そんな風に考えて、やっていければなあと思います。
大変貴重な体験でした。
私にできること。
こうしてみなさんにブログでお伝えすること。
と思います。