仕事にかける想いっていうのはなんだろうか [ -茶々もか(4年目)2015]
今日は、昨日の薬の調整がよくできたようで、朝方の不安感もそれほどなく、無事に会社にも行けた。
久しぶりにストレッチのフルコースもやって、朝から軽く汗もかけた。
午前中がちょっとつらく、会社についてからジェイゾロフトを1錠飲んでしのいだけど、それだけで済んだ。午後は、なにも飲まずに平気でいられた。
が、いつでもなきだしそうなくらいの感情の不安定さは、常にもっているかも。
今日は、久々にBOSSが出張から帰ってきたので、帰り道に話をしてもらえた。
「おまえがなにをやりたいかがぶれているんじゃないのか?それがわからないから、今みたいに、生気のない目。
目力がなくなっちゃっているんじゃないのかな。
それと淡々と仕事をするって言うのは違うんだよ」
って。
「いつまでも甘えてられないんだからな。いつかは自立しなきゃいけない。それがいつかってことも大事だ」
「設計のころは、もっと明確だったろ。おれもそうだった。でも、PJはそうじゃない。プロダクトを作るわけでもない。
なにがやりたいことなのか。それは、楽しいからやっていることなのか。」
「これなら、おれはやりたいと思える。それがぶれていてないんじゃないか」
と。
・・・・
夢を語れない私がいる。
このぐらいの仕事でも淡々とやりきれないとまずいという思いがある。
設計と違った観点からものを見れるようにもなってきた。
スケジュールに乗せて、仕事を進めること。そのために何を今自分がやらなければいけないか
それもわかってきて、それにのっとってやっている自分がいる。
仕事で不安な点もちゃんと聞いてくれる人もつけてもらった。そうして、自らの環境も整えていっている。
ひとりでできるようになったこともある。
今の鬱は、ボスがいなくなって、歯止めが効かなくならないようにと自分を抑え過ぎたのも原因。
そして、認めてもらいたい気持ちが強かった私が、認めてくれる人を失ってしまった甘え心も原因。
偏らないようにしようと思いすぎているのも一つかもしれないが。
それでも、英語や料理、ガーデニングに至るまでありとあらゆることに力がなくなってしまったのは、それぐらい、
力を入れてしまって抑圧してしまったんではなかろうか。
同じ轍を踏んではいけないと。
仕事は進む。どんな形であれ。
今は、脱皮の時なんだと思う。
自分で手掛けたPJで、世界の人々にきれいな水を届けたい。環境をよくしたい。そんな仕事がしたいのだ。
それが私の思い。その大きな夢をやるには、まず一つ一つやっていく。地道にだ。
ちいさなPJ から徐々に徐々に。進んでいけばいい。今は、確かに目に力もないかもしれない。なんかなんとなくやっているかもしれない。
でも押さえるべき点は押さえてやっていこうという思いがある。
今のところそういうことがないだけだ。
小さな芽から積みとれるぐらいのもので済んでいるからいいのかも
まあ、ぼちぼちいきます。
心はいずれ安定するさ。
そうだよ。茶々をみならって。
いつもこうやって、待っているんだよ
茶々いいこだね。
ありがとね。
あーちゃ、すこーしずづだけど、前に進んでいるからね。
辛い時は辛いと、悲しい時は悲しいと、嬉しい時はうれしいと
素直に口に出せなくしてしまったのは・・・母である私のせい
小さい頃は天真爛漫な、他人を笑わすのが大好きな子だったのに
いつもニコニコしているけれど
心の中の悲しみを口に出さない子になってしまった
泣きたいときには我慢しないで、泣いてもイインダヨ(私事)
少しずつ強くなっていってくださいね
いつも誰かが、あなたのことを見守っていてくれていると思います(^_^)
by mitu (2015-06-23 09:05)